サイン馬券 2025 小倉~関屋記念:「日本人ファースト」に対するJRAの答え

小倉記念は毎年8月に開催されていたが、今年は7月20日参院選の日に開催された。今年の参院選では「日本人ファースト」を掲げる右翼ポピュリスト政党の躍進が予想されていたので、その辺がサインに使われるのかなと思って枠順を見た。

外国産馬ファースト?

前日19日の小倉テレQ杯と小倉記念のどちらも1枠1番に外国産馬が入っていた。文字通り「外国産馬ファースト」である。「日本人ファースト」を意識した洒落の効いたサイン。さて、どの馬を教えているのだろうかと枠順を探った。ところが両レースとも1枠1番がストレートに勝利した。サイン馬と思った馬が二日続きで激走したのである。

翌週、27日。新潟の関屋記念と中京の東海ステークスでも外国産馬が1枠1番に入った。

東海ステークス外国産馬の隣の2番が3着。関屋記念外国産馬が2着同着になり、1着にキング騎手、2着にルメール騎手が入った。1着から3着までを外国人騎手と外国産馬が独占したのだ。ご丁寧にキング騎手は14番の外国産馬ゴールデンシロップの対角に入っていた。まさに、「外国人・外国産馬ファースト」である。(もちろん、外国産馬も外国人騎手も優遇されてなんかいない。ファースト=先という意味にすぎない)。

この仕掛けには、国際化によって日本の競馬のレベルを上げてきたJRAからの、排外主義に対する力強いメッセージが込められているように感じた。

高本公夫氏の喝破した日本の競馬界の正体=共産社会

昔の話をしよう。1983年に初版が出た、サイン馬券の創始者=高本公夫氏の「競馬で勝って歓喜する本」に次の行がある。

外国産馬が出走できるレースを制限されるのも悪例。当然、クラシックレースには出られない。かつて、マルゼンスキーの馬主が「賞金はいらないし、大外枠でいいから、ダービーを走らせてくれ」といったとかいわないとか(注)。

中央競馬会自体はマルゼンスキーがダービーを走ってくれたほうがいいと思っていたかもしれない。しかし、生産者第一の競馬ゆえに、主催者もマルゼンスキーを自由にするわけはいかなかった。

翌年、高本氏は、日本の競馬界を次のように鋭く批判した。

調教師さんたちの世界、社会というのは自由競争社会であってはならず、共に連帯して産む、共産社会(「確勝!500倍馬券作戦」1984年より)

JRAは1981年にジャパンカップを創設した。そのレースで繰り広げられた光景は、高本氏の言う「共産社会」にとって悪夢だったろう。日本の一線級の牡馬がアメリカの牝馬の条件馬に蹴散らされたのだ。まさに、高本氏が常日頃から指摘していた「ひ弱な日本馬」の姿がそこにあった。

だが、高本氏が上記の本を上梓した1984年のジャパンカップカツラギエースが日本馬としての初勝利をあげた。潮目は変わった。そこから日本馬はどんどん強くなった。そして2023年には競走馬の大谷翔平とも言えるイクイノックスがドバイシーマCを圧勝し世界一の座に君臨した。

JRAが推進した日本競馬の国際化

日本馬が世界に躍進の原動力となったのは、外国産馬や外国人騎手に対する規制を緩和し強力に国際化を推し進めてきたJRAの取り組みだった。2010年には全ての平地重賞で、外国調教馬は9頭まで、外国生まれの日本調教馬は無制限に出走できるようになった。

騎手についても、

・1994年短期免許制度導入:外国人騎手は1年に最大3ヶ月間

・2014年外国人騎手に通年の免許交付開始

・2015年デムーロルメールらトップ騎手が通年ライセンス取得

という流れで日本の競馬のレベルアップがなされた

もしも、競馬界がマルゼンスキーの時代の準鎖国状態のままだったら?もしも騎手が「日本人ファースト」のままだったら?日本の競馬はどうだったのだろう。馬券しか興味のない人たちにはそれでも良かったかも知れない。だが、今のように、若い男女を惹きつけるエンタテインメントとして人気を博してはいなかっただろう。 そんなメッセージをこの二週間の競馬で感じとった次第だ。

「日本人ファースト」なんて、みみっちい

「日本人ファースト」というのは実態を伴わないミームである。日本には参政党が言うような外国人優遇はない。だから、日本人ファーストで具体的に何を正したいのか判然としない。結局「なんとなく」のムードだけのスローガンだ。そんなミームが増殖する背景には、自信喪失し、みみっちく縮こまった日本人のマインドがあるような気がする。日の丸を振って外国人を追い出しても得るものはない。ただ空しいだけだ。外国人の力を活かし、共生し、対等に競争してこそ、強い国家を作れるのではないだろうか。

-------

注: この発言をしたのは中野渡騎手と言われている。マルゼンスキー日本ダービーに出走できなかった当時、中野渡騎手は次のように強く願い出たとされている。

「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔はしない。賞金もいらない。ただこの馬の力を確かめるために日本ダービーに出させてほしい」。

ただ、ご本人には記憶がなく、真偽のほどは定かではない。